「命(めい)は吾(われ)より作(な)す」に思う

所長のひとこと

「命(めい)は吾(われ)より作(な)す」に思う

令和元年7月1日(月)

 

 

運命というものは、全て自分がつくるものである。

自らの道を自ら切り開いてきた人は皆、命を吾より作した人である。

あの一代で大企業グループを創った松下幸之助さんは、ある年の入社式でこう訓示している。

「君らな。僕が今から言う二つのことを守り通したら、松下電器の重役になれる。

 

一つは、いい会社に入ったと思い続けられるかどうかや。入社したばかりの時はそう思っても、嫌な上司に出会ったり、意に沿わない仕事をさせられてもなお、いい会社に入ったと、心から思えるかどうかはすごく大事なことや。

 

もう一つは、社会人になってお金が一番大事と思ったらあかん。もちろんお金も大事だが、お金はなくしても取り戻せる。しかし人生にはこれを失うと、取り戻すのに大変苦労するものがある。それは信用や。信用を大事にせなあかん。」

 

松下さんに仕えた上甲晃氏は、「二十代をどう生きるか」で、松下さんの付言を紹介されておられる。

「人間、九割は自分ではどうにもならない運命のもとに生きている。その運命を呪ってはいけない。喜んで受け入れる。そうすると、運がよくなる。」と。

 

命は吾より作す心得とは、浅はかで無力だと、「宿命」になり、人間が本当に磨かれてくると、「運命」になる。即ち、自分で自分の「命」を創造することができるようになる。それが、「命は吾より作す」というところであると解説されている。

 

さらに、どうすれば人間を磨き、自分の命を創造できるか。

古来より、三人の先哲の言葉がある。

一は論語の孔子の教えである。

 

孔子は、「人の生くるや直し」という。つまり、人が生きていく上でもっとも大事なものは、素直であることだ。と孔子は教える。

人間性、個性というのが、「性」の偏「忄」は、心が天地に対してすっくと立っていることを示している。心が歪んだりねじ曲がったりしていると、人間性も個性も発揮されない。性格が歪んだ人は、人生も歪む。孔子が素直を重んじた所以である。

 

次に、「易経」の教えがある。

「性を尽くして以って命に至る」というもの。

ここでいう「性」は天から授かったもの、持って生まれた能力のこと。それを全て発揮し尽くして天命に至ることができるというのである。

これは、命を吾より作す上で欠かすことのできない条件と言える。多くの先達が、さまざまな表現でこの大事を説いている。

私の尊敬する坂村真民さんの詩にもある。

なんども / 本腰にならねば / いい仕事はできない / 新しい力も生まれてこない / 本気であれ / 本腰であれ。

 

最後に、「生きる力になる禅語」に趙州(じょうしゅう)禅師の語がある。

弟子が名僧といわれた趙州に、「大困難がきたらどうしますか」と問う。趙州はひと言「恰好(かっこう)」と答えた。恰好とは「よしきた」ということである。人生に起きる「まさか」にへなへなとなってはいけない。「よしきた」と応じる。その姿勢こそ、吾より命を作す根幹となる。心しておきたいものだ。

 

日々私たちは、何もない普通の状態に感謝もせず、当たり前の様に生活を享受(きょうじゅ)しているが、ふとした災害の時、経験したことのないまさかの時に、「よしきた」と思えるかどうか。先人に学ぶことがいかに多くあるか。

この時期にふと、思いめぐらせてみたいものである。