今こそ一人一人が人間の百年の計を作ろう!

今こそ一人一人が人間の百年の計を作ろう!

令和4年4月1日

 

ここしばらくは、日本が、また世界がコロナ感染病によって全てが立ち止まり、経済の停滞を招き、苦しみの中でもがいているのが現状です。

 

私のHPでの所長のひとことも、昨年令和3年9月20日号のコメント以来、しばらくストップしていましたが、やはり続ける事が基本という思いに至り、再開することにしました。

 

さて、私達は、21世紀に生きているわけですが、これまでにも先哲の教えに救われる事が数多くあります。

 

特に、こういう変化の激しい時代を迎えている中で、どう生き方を再構成しようかと悩むのが人間ですが、私は、常に、立ち止まったら基本に帰ることが重要と思っていますので、よく深い呼吸をしながら考えてみました。

 

そして、思い至った先哲は、孔子であり、荀子であり、福澤諭吉であり、経営学の祖であり、経営の未来を予測したピーター・ドラッカー等である。

 

そして、どの先哲も根本は「人を幸せにすること」であり、人間のあり方を考える上で、心の底に根差した考え方であると思える。

 

21世紀に入って、大きな二つの課題がある。

 

一つは、私たちの仕事、職業の寿命がどんどん短くなっていること。情報技術(IT)、人工知能(AI)、ロボット、そしてこれら統合システムといわれる、デジタルトランスフォーメーション(DX=ITによる変革)が、あらゆる社会システムに入っていき、人の働き方に大変革をもたらし、加速度を増していること。

 

もう一つは、人間の寿命が八十年、九十年、人生百年という感覚が普通になっていること。

 

それは、定年後数年と考えてきた人生が、百年もの長い人生を与えられたために、生涯をどう楽しく働き、健全に生きるかという、これまで経験したことのない難問題が、今、つきつけられている。

 

今から二千三百年前、古代中国に十五歳で学を志した孔子の直系の思想家がいました。「性悪説」、「出藍の誉」の故事で知られる荀子は、勧学(学問のすすめ)篇の中で、「冥冥(めいめい)の志なき者は、昭(しょう)昭(しょう)の明なく、惛惛(こんこん)の事なき者は、赫赫(かくかく)の功なし」(志をもって目に見えぬ努力を積み重ねない者には、素晴らしいことが訪れるはずはない。また、目につかぬところで手を抜く者には、輝かしい成果が上がるはずはない。)と言っています。

 

また、「学問のすすめ」を書いた福澤諭吉は、明治維新の文明開化に際し、欧米の新しい実学を習得することが国の発展、人生の成功に繋がると説きました。当時の日本人口が3,500万人、売れたのが三百四十万部。実に、十人に一人に読まれました。百年先を思う時、謙虚になってもう一度学ぶことの重要さを説いています。

 

そして、ドラッカーも、人を幸せにするために組織があり、そこに係わる人間という観点から、新しいスキルを学ぶ必要性を説いています。

 

まさに、福澤諭吉の、一人ひとりの独立自尊の心で忍耐力を持って、継続的に学ぶ努力の尊さを主張しています。

 

コロナ禍は、我々人間に我慢と忍耐と、人間の根源を教えてくれています。

 

私達は、今こそ先哲を学び、自分の将来を見つめるべき時がきたと思う、このごろです。